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【Uターン漁師のゴーヘー通信】Vol.69 若い衆
                                    2004年6月12日発行
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■若い衆

国語辞典によると漢字で「若い衆」と書いて「わかいしゅ」と発音するようです。ゴーヘーは「若い衆」をずっと「わかいしゅう」と読み・発音しており、「わかいしゅ」という発音はてっきり「しゅう」が「しゅ」へ変化したものだと思っていました。「わかいしゅ」を漢字にすれば「若い手」であり「若い手=若手」と考えれば意味は通じるので一人気に入っていたのですが、今回国語辞典を調べて目から鱗が落ちたような気がします。こちらの漁師も皆「しゅ」と発音しているので実に国語辞典に忠実だったわけです。

ちなみに、パソコンのかな漢字変換(ATOK)では「しゅ」でも「しゅう」でも「若い衆」と変換されるので便利です。

ゴーヘーはゴーヘー父の船に乗る若い衆です。この場合「息子」と「手伝い人」の両方の意味が含まれています。漁師の家でない場合息子を「若い衆」とは呼ぶことは少ないので、漁師の場合息子は後を継ぐ「働き手」としての期待が大きいのかもしれません。実際漁師の息子は漁師を継ぐものが多く、大きいショウバイ(海苔、シロメ(イカナゴ漁)、ゴッチ(底引き漁))をしている漁師ほどその傾向が強いのは、カレ網に比べて収入面で有利だからだと思われます。

こうした「大きなショウバイ」ではある程度の頭数が必要なので、息子以外にも他家の若い人を雇うことも多いです。こうした人達は「シロメの若い衆」とか「海苔の若い衆」とか呼ばれ、雇っている漁師は「親方」と呼ばれます。これら「手伝い人」の立場である若い衆は働きも賃金も一人前ですが、「船を持っていない雇われの身」ゆえ漁師内では半人前に見られる傾向にあります。「若い衆」のネガティブな語感そのまんまというわけです。結婚して所帯を持つとこれらの若い衆はまわりから「いつまでも○○の若い衆じゃあかん」と言われて、独立して他のショウバイへ変わることがあります。

大きなショウバイの内特にコウナゴ漁は漁の期間が短く人をたくさん必要とするため、村の漁師の多くが「コウナゴの若い衆」として参加します。この時は単純に「手伝い人」の立場になるわけです。

漁師にとって「若い衆」はまさに作業をする「若い手」なわけですが、船に乗る親方以外の漁師は皆「若い衆」と呼ばれるので、「若くない」若い衆がいたりします。上記コウナゴの若い衆では村の多くの漁師が参加するため50代は普通にいて、60代前半もちらほらいるようです。60過ぎで「若い衆」と呼ばれるのはなんとも変ですが、高齢化の進んでいる昨今でもなお中高年の再就職がその年齢ゆえに厳しい現実を考えると、むしろ時代を大きく先取りしたような前向きな感じがして良いように思います。

あ!、国会議員は「60ははな垂れ小僧」と呼ばれるとか・・・。





■今週のゴーヘー

○5月29日(土)  <西浦が良かった>

昨日みんなが西浦でよい漁だったからそっちへ行った方がいいと思ったけど、ゴーヘー父はあえて土曜日であさりかきの人達が休みのオクゴオリへ行った。しかしまともな漁があったのは朝のうちの4クラだけでその後9クラやって5クラもカラがあった。無線では西浦へ行った人達がよい話をしてた。やっぱり今日は西浦が良かったようだ。


○5月30日(日)  <いつのまにか>

朝小野浦でカレイ4枚、小コチ2本、ハゴ2本とシンマキを1枚掴まえた後、上野間(かみのま)まで行きコチ4本、カレイ、ヒラメ、ハゴを各1枚ずつ掴まえた。スタートダッシュはまずまずだったが、その後は大谷で大ゴチ1本を含むコチ3本を掴まえたのと、10時過ぎにやはり大ゴチを1本だけ掴まえたのが印象に残っただけ。全13クラ中カラが4クラもあってなんだかさっぱり魚の顔を見てない気分だった。

雨がぱらつくとの天気予報とは裏腹に空はよく晴れてきて8時前からすでに暑くなり始めた。風が北西から西、南西と変わりながらも終始そよそよと吹いていたのが救い。その風が11時頃から強いマゼに変わってしまい12時丁度に切り上げて帰ってきた。このマゼは大量の湿り気を含んでいるみたいで、豊浜の山々が霞み今来たイワテは霧になっていた。

札場で水槽に魚を揚げたらコチが大小17本もあった。あれ?いつのまに。


○6月1日(火)  <休みのはずが>

朝うちを出たら西の風がふわふわ(ゆるく)吹いていた。船着き場へ行くとまだみんなの船があり岸壁で話していたのでその輪に加わる。この時期にしては妙に寒く、西の風が弱まったり強まったりして雨もぱらつく。明るくなって出て行った人もあったけど沖へ出るとすぐに戻ってきた。やはり波が高いようだ。2時間ほど岸壁で話してたけど6時になったんで解散した。

8時過ぎ頃海の様子を見に行ったゴーヘー父が「凪いできたに、行くか」と言う。まだ沖は波が高いようだけどうちの前ならできそうだったんで、造成地から海田の間でお昼までやった。意外にもコチがよくかかり大ゴチも2本獲れた。こういう日もあるんだよな〜。


○6月2日(水)  <また難関>

三河での5クラ目、また網をやる時の操船を命じられた。ヤマテはわからんし、海の上には白線もパイロンもないから円を描くのも山勘で舵を切っただけ。ポイント、ポイントでゴーヘー父が舵の方向を手で指示するのだけど、これがテキトウでよくわからん(苦笑)。どうにか前回より輪が小さくなった。この後吉田港沖、梶島と移動し、網やりの操船を続ける。梶島の水かぶり(シマの名称)では何度ともシマに当たりそうになり、かなりびびった。船の下にシマが見えるのはいい気分がしないもんだ。ついでというわけではないが、ガランガランで網をひっかけて2反も破った(T^T)。


○6月3日(木)  <背中皮剥け>

三河へ行って朝一クラ目からアオサを満船してしまった。アオサがついても魚がかかればいいのだが、7時までに4クラやってコチ2本、カレイ1枚、ハゴ3枚。2本のコチのうち1本は頭に怪我があり、もう1本は背中が3分の1くらい皮が剥けて身が露出していた。どちらも底引きかマンガで引っかけられたんだろう。皮剥けの方はひどすぎて売り物にはならない。

7時半近くに梶島へ移動してお昼までに8クラやった。半分の4クラがカラで残りもカレイやコチがパラ、パラとかかる程度。あ〜、疲れた。


○6月9日(水)  <調子悪〜>

朝から体調も漁も調子が悪かった。妙な火照りと寒気があって多分寝冷えしたんだと思う。魚もあまりかからないんで調子悪いのが増幅される気がする。8時半過ぎから連続3クラカラの後奥田に上る際にちょっと横になったら頭が痛いのも治ってスッキリした。

せっかく行った奥田でもカラでまた小野浦へ戻ってきたけど、そのままお昼までハゴ数枚以外何もかからなかった。


○6月10日(木)  <広瀬の潜り>

5時に上野間へ行くとOA丸が網を揚げていた。そばで一クラやった後昨日FH丸が大漁だった広瀬まで走る。広瀬のコチは小さいが数が10数本獲れるからそれなりの水揚げになるし、中には中ゴチがかかったりする。今日も一カ所に5本がかたまっていて大ゴチも1本混じっていた。

調子よくやっていたら常滑の潜りの船が勢いよく近づいてきて網の中に入って来てなにやら睨んでいる。先日もFH丸が「やっちゃいかん!」と怒鳴られたと言っていたので注意してたけど、すぐに他のカレ網船の方へ走っていった。なんとなく気まずいので網を揚げたらその場を離れ9時ちょっと前に苅谷沖へ下がってきた。しかしそれからさっぱりコチもカレイも顔が見えなくなり、お昼までにハゴが数枚かかっただけだ。常滑も以前は潜りなんていなかったのになぁ。


○6月11日(金)  <雨東風>

うちを出る時既に雨が降っていた。台風から変わる温帯性低気圧が近づいてくるため風雨とも強くなってくる予報。もうちょっと雨か風が強ければ休みなのになぁと暗い空を恨みながら、帰りのことを考えて梶島へ向け出発。

梶島では5クラやったけどどのクラも1つしかかからない。7時半に生田鼻沖へ戻るとSE丸とAE丸が東風吹きの中大きく船を揺らしながら網をやっていた。雨はしとしとと降り続いており魚もパラパラとかかる程度。11時頃凪いできたら雨が激しく降り始めた。1つずつだった魚もこの頃3枚、6枚、5枚と連続してかかったので、お昼で帰るのが残念なほどだった。ただ、カッパの内側は汗でびしょびしょだったから引き上げる頃合いとしてはキリが良かった。

船から帰ってくる頃には風も雨も強まり、夕方の札場の時刻には暴風雨さながらだった。


■エピローグ

とうとう今年も梅雨入りしました。例年より早かったようですが、雨の降り方は例年の梅雨入り後と同じで少な目です。11日の雨東風が台風がらみで強烈だったのは意外でした。雨降りは嫌いじゃないけど雨に濡れるのは嫌いなので梅雨は早く終わって欲しいです。

しかし例年6月は中旬以降に大漁となる日があります。去年は普段の3倍の水揚げ高の日が1度だけありました。今年もそういう日があると期待したいですし、梅雨の間はその期待だけが雨中の漁を支えます(おおげさ)。


■次回予告

Vol.70 「夜光虫」 2004年6月26日(土)発行予定


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